Wish Melodies Blog - 小林志保ブログ


MENU

生きる「意味」


スポンサーリンク


ブログランキング・にほんブログ村へ

どうも。小林志保です。

 

2016/2/8にnoteというところで書いていた文章を転載してみました。

※一部読みやすく修正してあります

 

 

生きる「意味」- 1

f:id:wishmelo:20171210221547j:plain

なんで生きてるんだろう。

生きてることに意味ってあるんだろうか。

そんな風に、思春期の頃から考えておりました。

 

やや?こんな風に考えてきたけれど、

そもそも「意味」ってなんだろう。

 

辞書を引いてみました。

1 言葉が示す内容。また、言葉がある物事を示すこと。「単語の―を調べる」「愛を―するギリシャ語」

2 ある表現・行為によって示され、あるいはそこに含み隠されている内容。また、表現・行為がある内容を示すこと。「慰労の―で一席設ける」「―ありげな行動」「沈黙は賛成を―する」

価値。重要性。「―のある集会」「全員が参加しなければ―がない」

goo辞書より引用(http://dictionary.goo.ne.jp/jn/15002/meaning/m0u/%E6%84%8F%E5%91%B3/)2016/02/08取得

 

ここで、「価値」という言葉が出てきたので更に調べてみます。

1 その事物がどのくらい役に立つかの度合い。値打ち。「読む―のある本」「―のある一勝」

2 経済学で、商品が持つ交換価値の本質とされるもの。→価値学説

哲学で、あらゆる個人・社会を通じて常に承認されるべき絶対性をもった性質。真・善・美など。

goo辞書より引用(http://dictionary.goo.ne.jp/jn/42276/meaning/m0u/%E4%BE%A1%E5%80%A4/)2016/02/08引用

 

気になった部分を太字にしてみました。

 

商品が持つ交換価値の本質

それでは辞書に従い、

「意味」という言葉を

「商品が持つ交換価値の本質」と定義してみます。

となるとここでは、

「人生」=「商品」と置き換えて考える事となります。

 

簡単に当てはめると、

人生の「意味」とは、

他の何かと交換する事のできる交換価値の本質

という事になります。

 

つまり、人生を何かしらものと交換可能かどうか?

これが人生の「意味」、すなわち「価値」を決めます。

 

資本主義の経済社会において生きている我々にとって、

この場合の「価値」という概念は

非常にわかりやすいものであると思います。

 

ここでいう「価値」には「上下」がある。

つまり、「高い」「安い」という事です。

 

以上よりまとめると、

各々の人生には上下がある。

それは他の何かと交換が可能かどうかによって決まる。

という事になるかと思います。

 

つまり、

各々の人生には、値札を付けることができる

という事になるのではないでしょうか。

 

なぜなら、現在、資本主義経済において

「価値」を表す為に用いられるものは「貨幣」だからです。

つまり、貨幣を生み出せる=他人から貰う事ができる力

人生の意味となります。

 

そしてその上下は、

他人がその人にいくらの値段を支払うかによって決まるということになります。

 

生きる「意味」- 2

f:id:wishmelo:20171210221652j:plain

「意味」

1 その事物がどのくらい役に立つかの度合い。値打ち。「読む―のある本」「―のある一勝」

2 経済学で、商品が持つ交換価値の本質とされるもの。→価値学説

哲学で、あらゆる個人・社会を通じて常に承認されるべき絶対性をもった性質。真・善・美など。

goo辞書より引用(http://dictionary.goo.ne.jp/jn/42276/meaning/m0u/%E4%BE%A1%E5%80%A4/)2016/02/08取得

 

さて、「意味」の定義を前項で

「商品が持つ交換価値の本質」として考えました。

 

今回は、「哲学で、あらゆる個人・社会を通じて常に承認されるべき絶対性をもった性質。真・善・美など。」

こちらを「意味」の定義として考えていきたいと思います。

 

哲学で、あらゆる個人・社会を通じて常に承認されるべき絶対性をもった性質。真・善・美など。

さて、厄介なものが出てきました。「絶対」です。

私たちは、御存知の通り「相対」の世界で生きています。

右と左。上と下。3次元の世界では、これらしか知覚できません。(※五感を用いては。)

 

では「絶対」とは何なのか?

「我思う、故に我あり」

というデカルトさんの言葉があります。

この場合、「思う」という事が

「絶対」として定義されていると思われます。

つまり、思いの世界こそ絶対であるという論です。

 

さて、辞書に戻ります。

「意味とは」、

常に承認されるべき絶対性をもった性質。真・善・美など。

という事でした。

真・善・美

これらは、プラトンさんの「イデア論」で提唱されていたものです。

物事には、絶対性のある「本質」がある

こういった考えです。

 

ですが、こちらもイメージの世界(「思い」の世界)の話でしかありません。

「イデア界」があり、それこそが真・善・美という性質をもったもの、という論だからです。

 

ごちゃごちゃになってきたのでまとめますと、

・物事(存在)の本質は、絶対である

ただし、「思い」の世界において

という事になると思われます。

 

さて、いよいよわけがわからなくなってきました。

人生には意味があるのか?

という問いでした。

 

「意味」とは、物事の本質である、絶対性をもつもの。

人生にはそれがあるのか?となると、

物事の本質自体が絶対である、ということから、

「意味」というものも絶対である。

と考えられます。

 

故に、「人生」の「意味」も絶対であると考えられます。

何故ならば、この場合、「意味」という言葉が「人生」を従属させているからです。

※Meaning of Life と書くとわかりやすいかもしれません。

 

というわけで、「意味」の定義を

「哲学で、あらゆる個人・社会を通じて常に承認されるべき絶対性をもった性質。真・善・美など」とすると、

人生の意味は絶対に在る

という事になりました。

 

生きる「意味」- 3 (まとめ)

f:id:wishmelo:20171210221747j:plain

「意味」という言葉の、辞書上の「意味」から、

「人生の意味」について考えてきました。

(わーややこし~)

 

その結果、

・他人がその人にいくらの値段を支払うかによって決まる

・人生の意味は絶対に在る

という2つの結論になりました。

 

他人がその人にいくらの値段を支払うかによって決まる場合

この場合は、完全に他人によって自分の人生の意味が決められます。

また、完全に資本主義によるものとなります。

「人生の意味」は、他人によって値段が付けられる。

このようになります。

これがよく聞く、「ニートは死ね」論でしょうね。

 

自分に対してなんの利益も生み出さない他者には

人生の意味(値段)が無いからです。

 

これがひとつの「人生の意味」として結論付けられました。

 

人生の意味は絶対に在る、場合

続いてこちらです。

こちらについては、「絶対」という言葉が出てきます。

つまり、「人生の意味」は何者にも寄らず、「絶対に」存在します

 

ただし、「絶対」は我々は五感によって知覚することができません。

何故ならば、我々の知覚できる世界は相対しかないからです。

「絶対」のことを、「神」と呼ぶ事ができるかもしれません。

私としては、それ以外に、名付けようがありませんでした。

あるいは世界そのもの、など…。

 

なんにせよ、我々が知覚し得ないものとなります。

そうなると、どういう事が起きるのでしょうか?

 

意味=絶対=我々が知覚し得ないもの

という事になります。

 

なんだか随分と、話が遠いところまで来てしまいました。

 

人生の意味とは、知覚し得ない絶対のもの

このような結論となりました。

 

まとめ

「意味」という言葉から、「人生の意味」を分けると、

  • 「人生の意味」は、他人によって値段が付けられる
  • 人生の意味とは、知覚し得ない絶対のもの

上記の2つの結論にたどり着きました。

 

それで、どちらが正しいのか?

それは私にはわかりません。

どちらも正しいのかもしれないし、

どちらも間違っているのかもしれない。

 

どちらかを採用して生きる、というのもアリかもしれませんね。

結局、「人生の意味」は確実には定義できませんでした。

 

ただし…私の意見を述べますと。

他人の意見で私の人生に意味があるだの無いだの

決めつけられるのは腹が立ちます。

 

よって、私の人生の意味は後者!

 

つまり絶対に在る!という事にいたしました。

 

乱暴な終わり方で、申し訳ありません。w

 

ここまで読んでくださった皆様、

このような長文を読んでいただきまして

ありがとうございました!